ロックインアンプを使ったノイズスペクトル密度測定
概要
ナノテクノロジー、フォトニクス、量子物理学などの多くのアプリケーションで、ノイズに埋もれた微小信号を処理する場合、適切なノイズ特性の評価は不可欠です。システムのノイズ特性は、対象とする周波数範囲において、 \(\text{V}/\sqrt{\text{Hz}}\)で表される振幅のノイズスペクトル密度、\(\text{V}^2/\text{Hz}\)で表されるパワーのパワースペクトル密度 (PSD) と呼ばれます。システムの設計や動作の推測を正しく行うためにも、システムのノイズを高精度かつ正確に測定することは非常に重要です。Zurich Instruments のロックインアンプでは、極めて低いノイズ特性のハードウェアと、ノイズ測定用の内蔵ソフトウェアツールにより、ノイズ特性評価をシンプルかつ効率的に行うことが出来ます。機器制御とデータ収録を行うLabOneのソフトウェアでは、次の3つの方法でノイズスペクトルの測定が行えます。
- オシロスコープ FFT
- スペクトラムアナライザ
- 周波数スイーパー
LabOneのスコープモジュールで使えるFFTツールは、復調処理を行う前の入力信号のスペクトルを求めます。一方、LabOneのスペクトラムアナライザは、復調後の信号のフーリエ変換を求めます。スコープFFTが広い周波数範囲を提供するのに対し、スペクトラムアナライザは、非常に高い周波数分解能を得ることが出来ます。しかし、両方ともFFTアルゴリズムを使って信号のスペクトルを計算するため、スペクトルのリーク、測定点数の制限など、FFT演算の欠点に悩まされる ことがあります。
LabOneのスイーパーモジュールは、スコープやスペクトラムアナライザとは異なり、FFT演算を行わず直接信号のスペクトル成分を測定します。このアプローチでは、FFTアルゴリズム結果に表れるアーチファクトをすべて回避することができ、スコープとスペクトルツールの長所である広い周波数範囲と高い周波数分解能を可能にします。一方、他の 2 つの方法と比較すると、スイーパーは測定時間が長くなります。したがって、正確で精密なノイズ特性を必要とするアプリケーションでは、LabOneのスイーパーモジュールが最適ですが、必要な周波数範囲と分解能によっては、スコープFFTやスペクトラムアナライザで高速にノイズ測定を概算することができます。
このブログでは、周波数スイープによるノイズスペクトル測定に焦点を当てます。次章では、ロックインアンプを使ったノイズ測定の数学的背景を説明し、ロックイン検出で得られる復調成分から測定器の入力におけるノイズをどのように考えるかを説明します。最後に、MFLIロックインアンプの周波数スイーパーを用いて、実際にノイズ測定を行います。
数学的背景
本章では、スイーパーを使ったノイズ測定の理論的背景を説明します。この説明を読むと、ロックインアンプで測定されたベースバンド信号成分から、ロックインアンプの入力におけるバンドパスノイズが、どのように求められるかを正しく理解すると思います。
ノイズの表記法
まず測定したいノイズを \(n(t)\)とします。このノイズの発生源は、ロックイン アンプの入力に接続された被測定デバイス(DUT)、または入力ポートをショートキャップで接地したときの測定器の入力ノイズです。ロックインアンプでは特定の周波数のノイズ成分を測定でき、またスイーパーを使い測定周波数を変化させることで、ノイズ全体のスペクトルを得ることが出来ます。ここで、周波数 \(\omega\)のノイズ成分を \(n_\omega(t)\) とします。これは、振幅と位相が確率変数である正弦波信号として書くことができます。
\[n_\omega(t)=\sqrt{2}R \sin(\omega t+\theta)\]
ここで、 \(R\) はRMS (root-mean square, 二乗平均根)振幅ノイズ、 \(\theta\)は周波数 \(\omega\)の位相ノイズを表します。なお、振幅をピーク値ではなく実効値で表すため、 \(\sqrt{2}\)を掛けています。デュアルフェーズのロックインアンプでは、同相成分 \(X\)と直交成分 \(Y\) を測定しますが、これは上記の式を次のように展開すると得られます。
\[n_\omega(t)=\sqrt{2} X \sin(\omega t) + \sqrt{2} Y \cos(\omega t)\]
ただし
\[X= R\cos(\theta)\\ Y=R\sin(\theta)\]
なお、ノイズ成分 \(X\) と \(Y\) はゼロ平均の正規分布を持つ独立確率変数で、振幅 \(R\)と位相 \(\theta\)はそれぞれレイリー分布と一様分布となります。(ここのブログでも解説しています。)次に、周波数 \(\omega\)での測定成分 \(X\)、 \(Y\)とノイズ電力との関係を見ます。
ノイズ電力
周波数 \(\omega\)におけるノイズの瞬間電力は、以下のようノイズ信号 \(n_\omega(t)\) を2乗することでに計算できます。
\[p_\omega(t) = n_\omega^2(t) = 2R^2 \sin^2(\omega t+\theta) \]
また、周波数 \(\omega\)でのノイズ電力は、ノイズの同相・直交表現を使って以下の式でも表すことができます。
\[p_\omega(t) = 2X^2 \sin^2(\omega t) + 2Y^2 \cos^2(\omega t) + 2XY\sin(2\omega t)\] 周波数 \(\omega\)の時間平均ノイズ電力は、瞬間ノイズ電力の時間平均を1周期または \(T=2\pi/\omega\) の複数周期で平均化して \[P_\omega = \frac{1}{T}\int_{T}{p_\omega(t)\ dt}\] 時間平均は基本的にホモダインミキシングとローパスフィルタリングを組み合わせた復調によって行われます。上の式に \(p_\omega(t)\) を代入すると、周波数 \(\omega\)における平均ノイズ電力を、信号振幅 \(R\) と直交成分 \(X\) 、 \(Y\) を使って求めることが出来ます。
\[P_\omega = R^2 = X^2 + Y^2\]
信号成分は確率変数であるため、ある周波数での最終的なノイズ電力 \(P_n\) を求めるには、時間平均した電力のアンサンブル平均を取る必要があります。アンサンブル平均を数学的な平均演算 \(\mathbb{E}\) で表すと、雑音電力は次のようになります。
\[P_n =\mathbb{E}\{ P_\omega \} = \mathbb{E}\{R^2\} = \mathbb{E}\{X^2\} + \mathbb{E}\{ Y^2 \}\]
同相成分と直交成分はゼロ平均の確率変数であるため、その2次モーメントは分散で置き換えられ、それぞれ、\(\sigma_X^2\) と \(\sigma_Y^2\)になります。しかし、振幅成分 \(R\) は平均値 \(\mu_R\)が0でないため、その二次モーメントに寄与します。これは次のようにまとめられます。
\[P_n =\mu_R^2 + \sigma_R^2 =\sigma_X^2 + \sigma_Y^2 \]
ここで、振幅ノイズの平均と分散の両方がノイズ電力に寄与していることに留意する必要があります。よく分散だけを測定して、平均値を忘れてしまう人がいます。その結果、ノイズスペクトルが不正確に小さくなってしまいます。したがって、ノイズの特性評価には、振幅成分 \(R\) ではなく、直交成分 \(X\) と \(Y\) を必ず使用する必要があります。この点については、こちらのブログ記事で詳細に紹介しています。
ノイズスペクトル
ノイズのパワースペクトル密度(PSD)は、ノイズ周波数 \(\omega\)を中心としたバンドパスフィルタのノイズ等価パワー(NEP)帯域である測定帯域幅でノイズ電力を割ることで得られます。ただし、ロックインアンプでは、測定にNEP帯域 \(B\) のローパスフィルタ(LPF)を使用します。対応するバンドパスフィルタ(両側帯域)の等価帯域は、LPF帯域幅の2倍、すなわち\(W=2B\)となります。[1]
したがって、ノイズパワースペクトル密度 \(S_n\) は \(\text{V}^2/\text{Hz}\) の形で次のように表されます。
\[S_n = \frac{P_n}{W} = \frac{\sigma_X^2 + \sigma_Y^2}{2B} = \frac{1}{2}\bigg(\frac{\sigma_X^2}{B} + \frac{\sigma_Y^2}{B}\bigg) = \frac{1}{2}(S_X + S_Y)\]
ここで、 \(S_X\) と \(S_Y\)は、それぞれ \(X\) と \(Y\) のノイズ成分のPSDです。私たちの目的は、測定器の入力におけるノイズのスペクトル密度、すなわち \(S_n\) を求めることですが、ロックインアンプで測定できるのは、ノイズの同相成分と直交成分のスペクトル密度、すなわち \(S_X\) と \(S_Y\) です。上の式では、最終的なノイズスペクトルを得るために、信号成分のノイズスペクトルの平均を取る必要があることを表しています。
ほとんどのアプリケーションでは、同相成分と直交成分は等しいノイズパワーを持っているので、どちらか一方の信号成分、すなわち \(S_n=S_X=S_Y\)を測定するだけで大丈夫です。 しかし、光のスクイーズド状態の測定など、直交成分が異なるノイズレベルを持つ特殊なアプリケーションでは、ノイズスペクトルの平均を取ることが重要であることに注意が必要です。
もう1つの重要な点は、平均化は \(\text{V}^2/\text{Hz}\) で表されるパワースペクトル密度に対して行うことであり、 \(\text{V}/\sqrt{\text{Hz}}\)で表される振幅スペクトル密度に対して行うのではないことです。この点に注意しないと、最終的なスペクトルが実際よりも若干小さくなってしまいます。なお振幅スペクトル密度は、単純にパワースペクトル密度の平方根をとることで 得られます。
周波数スイーパー
LabOneのスイーパーモジュールは、デバイスのパラメータ(この場合は発振器周波数)を掃引し、各パラメータ値の信号収録行い、測定信号のスペクトルを得ることができます。信号の周波数によって、スイーパーは測定帯域幅を自動的に調整し、測定精度と速度のバランスを保ちます。前項で説明したように、ロックインアンプを使ったノイズ測定のポイントは、 \(R\) の測定ではなく、同相成分および直交成分 \(X\)や\(Y\)を取得することです。
ノイズ特性測定の第一歩として、ロックインアンプの入力ノイズを取得する必要があります。そのためには、このブログ記事で説明したように、まず測定器の入力ポートにショートキャップを取り付けて、信号経路を接地する必要があります。次に、図1に示すように、スイーパーモジュールの設定を調整して、最適なノイズ測定を行う必要があります 。
まず、スイーパーは復調信号の同相成分および直交成分を測定する必要があります。次に、Applicationモードを”Noise Amplitude Sweep”に設定してください。このモードは、Advancedモードの設定を最適化し、正確なノイズ測定を行うことができます。 ”Spectral Density”ボタンをクリックすると、測定信号を復調フィルタのNEP(Noise Equivalent Power, ノイズ等価電力)帯域幅で割ることができるようになります。さらに、統計計算のための”Stndard Deviation”アルゴリズムを利用して、ノイズパワーを求めます。図 2 は、MFLI の1mV、30mV、100mV の 3 つの入力レンジでの入力ノイズを示しています。同相成分と直交成分は同じノイズレベルであるため、上記で説明したよ うに、ノイズスペクトル密度 \(\sqrt{S_X}\) を求めるには、 \(\sqrt{S_n}\) のみを測定すれば十分です。
図2から、測定器の入力レンジを大きくすると、入力ノイズが増加することは明らかです。このことから、全入力信号の振幅をカバーできる最小の入力レンジを使用することが望ましいことがわかります。そのために、ロックインアンプは、信号やノイズのレベルに応じて入力範囲を最適化する「オートレンジ」機能を備えています。MFLI の最低入力ノイズフロアは約 \(2.5\ \text{nV}/\sqrt{\text{Hz}}\) ですが、より良い低ノイズレベルを得るためには、このアプリケーションノートで紹介しているクロスコリレーションテクニックが役に立ちます。また、図2において、コーナーポイントより低い周波数ではピンクノイズまたは1/fノイズ、コーナーポイントより高い周波数ではホワイトノイズまたはフラットノイズの2種類のノイズを識別することができます。
熱雑音
ロックインアンプ用いたノイズスペクトル密度測定が正確かつ精度よく行えているかを確認するために、抵抗器のノイズを求め、以下の式で表される理論上の熱雑音[2]と比較しました。
\[S_n = 4k_\text{B} T R\]
ただし、 \(T\) は抵抗器の絶対温度、 \(R\) は抵抗器の抵抗値、\(k_\text{B}\) はボルツマン定数を表します。室温で2.2 kΩの抵抗器の場合、ノイズスペクトル密度 \(\sqrt{S_n}\) は約\(6 - 7 \text{nV}/\sqrt{\text{Hz}}\) です。図 3 は、このような抵抗器の 1 kHz~100 kHz のノイズスペクトル密度を MFLI で測定した結果です。
測定されたスペクトルは2桁の周波数範囲で一定であり、Zurich Instruments のロックインアンプの周波数スイーパーを使った熱雑音(ホワイトノイズ)の測定が正確かつ精密であることを示しています。なお、抵抗の2本のリード線は、MFLIのBNC信号入力コネクタの芯線とシールドに直接接続されており、測定にドライブ信号は必要ありません。さらに、測定器は高い入力インピーダンス(この場合は 10MΩ)である必要があります。低い入力インピーダンスの場合、測定結果がずれることがあります。
まとめ
この記事では、ロックインアンプを用いたノイズスペクトル密度の測定方法について、周波数スイープ法に重点を置いて説明しました。また、ロックインアンプに入力されたノイズと復調信号成分との関係を数学的に解析しました。最後に、実際にMFLIを用いて抵抗器の熱雑音を測定したところ、理論上の期待値とよく一致することが示されました。
参考文献
- John G. Proakis and Masoud Salehi, Digital Communications. 5th ed., McGraw-Hill, 2008.
- ウィキペディア熱雑音


